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2015年3月4日水曜日

会社を辞めた理由

25年以上も勤めたIT会社を辞めて1年近い。
しかし、後悔は無い。
人生は短い。もう、半分を過ぎ、100歳まで生きられるとしたらもう半分しかない。
しかも、残りの後半の人生は、老いにより、自分で好きなように動けるか、健康でいられるか、生活できているか等の不安がある。
それならば、もう会社に人生を捧げる生き方は辞め、自分の思ったっ通りに、好きなように、自己責任で後悔しない人生に生き方を変更した方が良い。
私は、こう思ったのだった。

明日死ぬとしたら、このままでは、後悔してしまう。やりたいと思った事が出来ず、行きたいと思ったところへ行けず、ただただ忙しく毎日を会社の奴隷のように働く。年収1000万円あっても、死んだとしたら、やり残したことへの後悔が残る日々を送っていたのだった。
こんな人生で終わって良いのか?そうではない、いつかは・・・と思っていた。

IT起業に勤めていても、スマホ(Android)、Arduinoやラズベリーパイといった組み込み機器、スマートグラス、GoogleMap等の地図情報システム、ドローン、3次元プリンタ等、わくわくするような仕事は会社には存在しなかった。新規プロジェクトとして提案しても、何も変化はなかった。
顧客先で言われた通りに動き、ミーティングの用に大量に印刷物を作成し、意思決定しない無駄の多い会議に時間を費やす日々が数年間も続いていた。
そのプロジェクトが終われば、なんら関連のない別のプロジェクトがアサインされ、まさに、会社のコマとしての生き方であった。

こうした人生を否定するつもりはないが、私にはもう耐えられなかった。
客先で障害を自分の力で解決したり、自分の案を提案したりしても、上司に評価されることはなく、顧客の指図を素直に聞く若者の方がシニアのエンジニアより好まれた。

シニアのITエンジニアなど結局、プロジェクトでも物品管理やプロジェクトやテストのレビューといったものくらいしか回ってこなくなるのだ。
世の中には新規のテクノロジーも多数あり、もっともっと面白いプロジェクトや既存のプロジェクトに付加できるものがあるにもかかわらず、伝統的なプロジェクトに埋没するしかなかった。会議ではPCは使わず、資料は印刷物を配布。
プロジェクトマネージャーはITの経験に乏しい若者か、顧客の苦情処理役のシニアで、チームの生産性を上げるとかコミュニケーション作りも名ばかりであった。

そんな会社生活に嫌気がさし、会社を辞めたのだった。
失業給付以外に、1年近く収入は、無い。ゼロである。

妻と子供に余裕を与えられていないが、家族と一緒に過ごせる時間は確実に増えたことは
良いことである。

2014年3月24日月曜日

人生はマラソンじゃない

リクルートのCMで「人生はマラソンじゃない」を観た。

人生はマラソンじゃない
CM自体はとっても良いものだと思うし、共感できる。すべての人生が素晴らしいもののはず。
ゴールは人それぞれ違っているのだから・・・

ただ、リクルート社のCMというのが少し個人的にひっかかる・・・。
就職や転職サービスをしてくれていること自体はありがたいが、
企業と人の間に入ってマージンを稼ぐ良い商売である。
性別や年齢といった差別撤廃や、職業訓練や起業といった多様な方向に
援助を充実してくれると嬉しい。
このCMも誰かが勝手に決めた1つゴールではなく、それぞれのゴールを目指す点が良いと思う。

2014年3月13日木曜日

50歳を越えての哀しさ

転職サイトで求人内容を見て職を探す日々が続いている・・・
50歳を越えて転職など、やはり厳しい。
思えば、Windowsより前のMS-DOS、それ以前のCP/Mも使っていた。
昔はパソコンの未来に夢や希望が溢れていた。
一獲千金のような成金への期待や、バイオコンピューターやデータフローマシン、第5世代コンピューターといった挑戦的な話題で溢れていた。
今だって量子コンピューターといった話題もあるが、ついていけていない。
それは自分が年齢を重ねたせいなのか、それとも、機械は機械でしかなく、人間のような知能を持つことなどあり得ないということが分かったせいの落胆なのかもしれない。囲碁や将棋またはクイズ番組のクイズで勝利したからといって、コンピューターが学習して成長できるわけではない。プログラミングを人間が与えているのだから知能などないのだ。
若い頃に比べ、コンピューターそのものに興味を失いつつあることが、自分をダメにしているのかもしれない。次の仕事が決まらないことの哀しさ、自身喪失、IT業界の搾取構造(ゼネコンと同じく末端の作業者はいつまでたっても豊かにはなれない)への不満・・・
セカンドライフとして全く別な職を志しても、まだ転職できない焦りもある。
結局、同じIT業界で再就職をするしかないのか・・・家族を養うには奴隷のように通勤ラッシュ、困難な目標達成ノルマ、コロコロ変わる顧客の要望を黙って実現するだけの、社畜とならざるを得ないのか。

2014年2月23日日曜日

この時代に、この日本に生まれ、IT業界で生きてきたことの意味

年齢が50を過ぎると、あと何年生きられるのだろうかとか、年金や定年といった話題が身近に感じられるようになってきた。今までは、全く気にしていなかったのだが・・・。
あのiPhoneのスティーブ・ジョブズは明日死ぬとしたら君は何をするのか、死んでも悔いの残らないような生き方を後援で説いたらしい。まったく同感である。人生に大切なもの・・・それは悔いの無いように生きることではないだろうか。自分が夢に見たことや願望や達成したいことや目標を少なからずやり遂げていれば後悔はしないはずだと思う。毎日、通勤電車で朝早くから会社に出勤し、上司や周囲の人間関係を気にしながら不満を抱かず命を永らえて生きていく・・・これで後悔無く生きたと言えるのか?大学を卒業後に入社したときの初心はそんなことではなかったはず。出世や長生きが夢だったわけではない。やはり、生活に困らない経済力を持ちながら、何か世のため人のために貢献できるようなことをしてみたい。大きな目で見れば会社人生で終わったとしても、なんらかの社会のための人生を過ごしたことにはなるだろう。しかし、あまりにもそんな人生はもったいない。この時代に、この日本に生まれ、IT業界で過ごしてきた自分が、この意味を噛みしめて、もっと悔いなく幸福に生きられる道があるはずである。世界から見れば、こんな裕福な日本でしかもハイテク産業に従事している国民は、世界に対してももっと貢献できるはずなのだと思う。今後の生活がどうなるかも不透明なまま、大義を胸に抱いて夢想する日々が続いている。

2014年2月20日木曜日

会社を辞めた

大学を卒業して以来、ずっと大手IT企業に勤めてきたが、人生これで良いのかと考えるようになった。毎日、朝早くから通勤電車で都心に向かう。さすがに家を出るときは、ほのかに暗い。電車の中で眠りたい。しかし、大抵は眠ることができずに駅に到着する。目を覚ますために、駅近くのそば屋さんで朝食の朝そばを食べる。
オフィスに来ると朝9時であるがぽつんぽつんとしか人がいない。パソコンを開いて到着しているメールへの返信をする。全部終わった頃に、私へ仕事を依頼する人が出社してくる。
派遣的な仕事のためか次々に仕事の依頼が飛んでくる。余裕が出てこないように、常に片付かない量の仕事が溜まっている。契約上、これこれの仕事といった範囲はあるものの、プロジェクトに人材が足りないためか、事務手続き、ソフトウエア導入、ドキュメント作成、プログラミング、テスト等なんでもかんでも依頼が来る。早く完了できるように一生懸命に頑張っても、次から次へ来る。それでいて、私には何の発言権も無い。言われた仕事をこなすだけの、まさに奴隷と化してしまっているこの勤務状態をなんとか変えたいと思ったが、仕事をこなすのに精一杯の日がずっと続いた。
悔いの無いような人生を送りたい・・・
私は何をやっているのだろう・・・こんな状態で良いのだろうか?
私は会社を辞めた。