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2014年2月27日木曜日

夢想する日々

本心はずっとITエンジニアとして定年まで仕事を続けたかった。 しかし、それはもう諦めざるを得なかった。奴隷のような仕事はもううんざりだ こういうビジネスならどうか、といったアイデアをいつの頃からか書き溜めている。 将来の起業でのネタとしてである。 ずっと、あんなこんなでビジネスを考えている。 起業すること自体は簡単である。問題は、その事業をどのようにして継続的に利益を出し続けて回していけるかである。 初期投資の資金が潤沢なわけではない。 このところ、ずっとビジネスを夢想している。 どういったビジネスモデルか、顧客は誰で、何を提供する事業なのか・・・オフィスは?最初から人を雇うべきなのか・・・? 個人事業主として開始して株式会社へ成長させていけるのか? 事業計画書や起業関係の参考書籍を読み漁る日々が続いている。

起業したい人への16の質問―ガーバー流事業計画書のつくり方

起業は1冊のノートから始めなさい―――「事業プラン」から「資金計画」までを可視化する起業ログのススメ

起業したい人への16の質問 ガーバー流事業計画書のつくり方

2014年2月25日火曜日

開放感と達成感

今日はある外資系会社の面接を受けた。 もちろん、面接は英語で行なわれた。 私と同様に面接に来ていたのは他に8名であった。 明らかに私より年配の方もいれば、大卒くらいの若い女の子もいた。 みんな私より英語が達者なような雰囲気を受ける・・・。 順々に呼ばれて面接室へ一人一人消えていく。 私の番が来た。面接室に入った。 シンガポール出身の男性と日本の女性であった。 なんとか英語での説明と受け答えをこなした。 無事に終わった。 ビルの外に出ると開放感、達成感を感じた。 終わった、それにやるだけはやっているのだ・・・と。 達成感は、ITプロジェクトでずっと感じることができなかったものであった。

2014年2月24日月曜日

やはり英語

起業を視野に入れているものの、面白そうな仕事があったので、それに応募してみた。もちろん、給料は安いし、外資系であり、ITとは何の関係も無い業界ではあるが、情報系の仕事のできる人材を募集していたので、経験してみる価値ありと判断し応募した。残念ながら正社員ではない。半年契約らしい。英語の面接に備えて少しは口慣らしをしておこう。

2014年2月23日日曜日

JICAのシニアボランティア募集は年2回の狭き門

前のブログで社会に貢献したいだのと偉そうなことを書いてしまったが、現実に今後どう生活していくかがハッキリしていないので、理想でしかないのかもしれない。収入が全く無くなってしまうのであるから・・・。もちろん、仕事を探しているが50歳を越えているためそうそう見つからない。選り好みをしなければあると思っているが、収入は半分に減ることを覚悟しなければならない。
家族には申し訳ないと思っているが、今後は経済的余裕は一層なくなってしまう。すまない・・・。
JICAのシニアボランティアを調べてみたが、なんと年に2回しか募集していない。しかも、専門職のようなものは、農業や土木や先生や医師等であり、IT等人材募集は無い。そりゃそうだ・・・。
しかもJICAでのボランティアは約20%の合格率でなんと狭き門なのだろう。会社に居ながらボランティア休職制度を活用して参加を考えたが、これもダメだった。家族を養わなければいけない立場からは、少しでも経済的に負担が少なく、なおかつ社会貢献可能な事が良かったのだが、現実には難しい。
しかし、今後、シニアは大量に定年を迎え、まだまだ元気であるのに対して、日本のボランティアとは狭き門なのだろう。ODAでお金を配る以外にも、シニアを海外にボランティア派遣することにお金を使ってはどうだろうかと思った。ボランティアなので無給が当然と思われるかもしれないが、渡航費用や帰国後の経済援助はあって欲しい。JICAの募集が年に2回しかないというのは、おかしいのではないのか。本題からは外れるが、少しは国際貢献を考えるようになって初めて気付いたことである。

この時代に、この日本に生まれ、IT業界で生きてきたことの意味

年齢が50を過ぎると、あと何年生きられるのだろうかとか、年金や定年といった話題が身近に感じられるようになってきた。今までは、全く気にしていなかったのだが・・・。
あのiPhoneのスティーブ・ジョブズは明日死ぬとしたら君は何をするのか、死んでも悔いの残らないような生き方を後援で説いたらしい。まったく同感である。人生に大切なもの・・・それは悔いの無いように生きることではないだろうか。自分が夢に見たことや願望や達成したいことや目標を少なからずやり遂げていれば後悔はしないはずだと思う。毎日、通勤電車で朝早くから会社に出勤し、上司や周囲の人間関係を気にしながら不満を抱かず命を永らえて生きていく・・・これで後悔無く生きたと言えるのか?大学を卒業後に入社したときの初心はそんなことではなかったはず。出世や長生きが夢だったわけではない。やはり、生活に困らない経済力を持ちながら、何か世のため人のために貢献できるようなことをしてみたい。大きな目で見れば会社人生で終わったとしても、なんらかの社会のための人生を過ごしたことにはなるだろう。しかし、あまりにもそんな人生はもったいない。この時代に、この日本に生まれ、IT業界で過ごしてきた自分が、この意味を噛みしめて、もっと悔いなく幸福に生きられる道があるはずである。世界から見れば、こんな裕福な日本でしかもハイテク産業に従事している国民は、世界に対してももっと貢献できるはずなのだと思う。今後の生活がどうなるかも不透明なまま、大義を胸に抱いて夢想する日々が続いている。

2014年2月20日木曜日

愚痴

会社や組織や人間関係の不満はやはりある。
これはどんなところで働こうが存在するのではないかと思う。
親会社から子会社へ出向して既に7年の歳月が過ぎた。私を子会社へ出向させた上司はもう会社にはいない。親会社へ戻れるチャンスはない。会社を辞めるときには、親会社で辞めたことになるらしい。
1年の労働日のうち何日間稼いでいるかといった稼働率を会社の上層部は勝手に設定し、それを達成出来ない社員は低評価され給与が減額される。実際、有給休暇を取得するとそれで稼働率は達成不可能となる。そんな稼働率設定は間違っている。
プロジェクトと次のプロジェクトの間に有給休暇を取ったことで、その期間は稼働率が落ちたことで低評価となったと上司から言われたが、要するに仕事の質や早さといったことが評価のポイントではなく、どれだけ稼いでいるかの数字がポイントなのだ。いつから、こんな馬鹿げた数字のみの評価の仕組みになったのだろう・・・。哀しくなった。
稼働率で縛ることで、そんなに社員を辞めさせたいのだろうか?
休暇取得を認めない、または、休日返上で働かない限り達成できないような稼働率って何なのか?
他の人も同じ目に遭っているのに、誰も声を挙げない・・・いや、知らないうちに気付くといなくなっている。既に会社を辞めているのだ・・・。なんという現実。IT業界はこんな世界だったのか?IT業界には労働組合があるのか?あっても力が弱過ぎる・・・?
こんなIT会社に誰がしたのか?

覚悟

会社を辞めるということがどれほど重大な事なのだろうか?
日本では、会社を辞めることはどうもネガティブなこととして考えられている。
これからどうやって生活していくのかあてもないまま辞めたので、人生の負け組み・・・らしい。
妻も子供もいるのに、簡単に辞めてしまって良いのか?
簡単に、一時の感情で決めたのではない・・・ずっと何年も前から考えて来た。たまたま、きっかけがあり、タイミングも最善と判断したためだった。
このまま仕事を続けることは、派遣されて黙って奴隷のように働くことを意味し、心身ともに破壊される気がした。自分の精神的な限界に迫りつつあった。
次々に依頼される仕事に対して、「それは契約外の仕事です」と何度言い放ちたかったことか・・・。
プロジェクトのメンバーの大勢が夜遅くまで残業していることは知っているし、プロジェクトの成功を思えば、なんとかやり遂げるしか方法はなかった。
私のような中高年は、ITでの開発現場では扱い難いのも事実であろう。IT歴は、プロジェクトリーダーやプロジェクトマネージャー(PM)よりもずっと長いし、経験も豊富である。何かあれば、ぶつぶつと反論したりするオッサンよりも、若くて何でも素直に聞く社員の方が指示しやすいというものだ。
自分を殺し、次から次へと仕事をこなしていけば、それで良いのかもしれない。
しかし、私にはもう限界であった。ああ、もっと自分の思った通りに仕事がしたい。上から言われてそれをこなすだけといった仕事はもうウンザリだ。
派遣先がお客様の現場のときは、お客様の言う通りに日々作業を行なう。これも奴隷のよう・・・。
いつぞやは、お客様へ業務の効率改善やドキュメントのフォーマット改善を提案したことがあったが、逆に意見する生意気なエンジニアだとして叱責を受けた。
この年齢で会社を辞めれば、再就職は難しいだろう。
貯金やその他の資産も無いままで、どうやって生活していくのだろう。不安が次から次へと頭をもたげてきた。妻や子供の顔を思うだけで、目頭が熱くなった。視界がぼやけてきた。「ごめん・・・」
そう思わずにはいられなかった。

会社を辞めた

大学を卒業して以来、ずっと大手IT企業に勤めてきたが、人生これで良いのかと考えるようになった。毎日、朝早くから通勤電車で都心に向かう。さすがに家を出るときは、ほのかに暗い。電車の中で眠りたい。しかし、大抵は眠ることができずに駅に到着する。目を覚ますために、駅近くのそば屋さんで朝食の朝そばを食べる。
オフィスに来ると朝9時であるがぽつんぽつんとしか人がいない。パソコンを開いて到着しているメールへの返信をする。全部終わった頃に、私へ仕事を依頼する人が出社してくる。
派遣的な仕事のためか次々に仕事の依頼が飛んでくる。余裕が出てこないように、常に片付かない量の仕事が溜まっている。契約上、これこれの仕事といった範囲はあるものの、プロジェクトに人材が足りないためか、事務手続き、ソフトウエア導入、ドキュメント作成、プログラミング、テスト等なんでもかんでも依頼が来る。早く完了できるように一生懸命に頑張っても、次から次へ来る。それでいて、私には何の発言権も無い。言われた仕事をこなすだけの、まさに奴隷と化してしまっているこの勤務状態をなんとか変えたいと思ったが、仕事をこなすのに精一杯の日がずっと続いた。
悔いの無いような人生を送りたい・・・
私は何をやっているのだろう・・・こんな状態で良いのだろうか?
私は会社を辞めた。